かなる

秋眠暁を覚えず
2007年11月

渓太/ 悠太 3ヶ月 碧惟/ ヵ月

平成19年もあと2ヶ月。
祭りが終わってしまったが、まだまだ楽しいこと続くゼィ!

11月3日(土)親子3人、初の自転車外出。

11月に入って、朝晩、結構冷え込むようになってきた。
バか寒い冬の布団の暖かさとは違い、この時期の布団はまことしやかに
暖かくて気持ちイイ。布団から出たくなくなる
ってな事言っても、遊びに行きたければ早起きなのだ。
池田屋で朝ラーメンを啜り、藤枝駅までチャリ。
静岡で献血→仕事とオヤジに付き合い、ココイチでカレーを食べ、
チョットだけ大道芸ワールドカップを見て、藤枝に戻る。
帰りもこの自転車道路を通って家に帰る。
普段、近所の人から「オマエんとこの小僧の自転車は危ねぇよ、ホントに」
と言われてきたが、今日、こうして一緒にチャリで出掛けてみると、
言われていることがよく分かった。反省・・・・・・
今日は16:00までに帰って、幼稚園のみんなと纏祭りだ!


11月3日(土)は藤枝市上伝馬商店街の“纏祭り”

渓太、悠太の通う藤枝西幼稚園の年長組(=渓太)が
纏行列と防火宣言で祭りに参加すると言う。
纏を振る渓太の1ショット。
額の傷は、前週、家電ショップでプラスティックの商札に激突した跡・・・
火遊びは大好きな渓太も、この日ばかりは「戸締り用心火の用心」なのだ。
 この日、夕方から結構冷えた。 
11月に入ったから当たり前なのだが、いささか、今までが暖かすぎたんだと思う。10月はここ何年かで一番暖かかったって言うんだから、少し冷えれば結構寒く感じるはずだ。
 って、寒がっているているのは親連中だけで、子どもは風の子!とは言うものの、沿道で見ている悠太はジャンパーを着込んでいるから、それなりに冷えるんだろう。

 3回目の披露を終え、お菓子を貰って通行規制となっている商店街の真ん中を歩いていく。途中、地元商店街が用意してくれたピンボールをやって帰る。

 この日、夜からオヤジは山に行った・・・って別に薄情じゃないよね。

 祭りを終え、11月も中盤に入ってきた。今年の秋は暖かい。日本海側はどうか?昨年に引き続き、山渓遊びの仲間が集まる新潟でのキノコ採りに出掛ける。
 往路、東京までの新幹線は満席で座れなかったが、それならばとデッキの窓越しに景色を眺めようとする渓太と悠太。躍起になって手摺に足をかけ、外を眺めている。
 
 ただ、「人に迷惑を掛けないように」と注意するより他ない程の興奮振り。脳視床下部よりドーパミンが大量に分泌されていたに違いない。
 東京駅着後は、まっちゃんSAFARIに乗って、一路、越後川口ICを目指す。まっちゃんJr.は喘息で生憎の不参加。いる予定だった友だちがいないので、少々不安気味かと思ったら、ケロリとして車の中で大はしゃぎだった。
   越後川口IC下車後、“生そばの丸十”“へぎ蕎麦”を食べる。蕎麦ツユは返しが弱く、オイラ好みじゃなかったけど、海草交じりの蕎麦は固茹でで歯応えもよく、美味しかった。圧巻は蕎麦湯。
 へぎ蕎麦の茹で汁だけ別なのか、ほのかに海草の香りと味がして、美味しかった。渓太は蕎麦湯をお替りしていた。
 ここでキノコ採りに入っている仲間に連絡すると、時期が悪いらしく、キノコが採れないので、買出しして、宿に入ろうか・・・とのことらしい。


焼肉を頬張り調子付く渓太と悠太

中越地震ではほとんどの建物が倒壊したと言う信越本線の越後川口駅周辺。
駅前にある安田屋(これで“あんたや”と読む!)で買出しを決め込む。
中には、キノコを買い込んでいた人もいたなぁ・・・(笑)
 ともあれ、えちご川口温泉奥にあるバンガロー3棟を陣取り、大人子ども
総勢20名が入り乱れた大宴会が始まった。
大人たちは三々五々、持ち込んだつまみと買い込んだ酒で、山の話、キノコの話、
釣りの話に花が咲く。渓太、悠太はじめ、山男の子どもたちは、
どんな風に聞いていたのかな?


我が家が現地に着く前に
頑張ってキノコ採りをして
くれた子どもたち



ヒラタケを見つけてご機嫌の翔平君と渓太、悠太

 翌朝、日の出の時には晴れていたけど、やがて雨が降り出した。「子どもたちでもキノコが採れる場所に行ってみよう」と案内して頂いたが、タイミングが悪く、キノコの出も少ない。雨も止まないと言う事で、敢え無く解散。
 キノコこそ満足に採れなかったけど、1年に1度会えるかどうかという友だちと存分に遊べたことが何よりかな?
 
 ともあれ、帰路、“味乃家 魚野川”でランチ。大将の心温まる料理に舌鼓を打ち、新潟を後にする。

 まっちゃん、Special Thanks !

蕎麦派の渓太

ラーメン派の悠太

平成19年11月18日(日)、地元キ町の自治会主催の“歩け歩け運動”に参加。
“健脚コース”と“一般コース”に分かれて、1時間半から2時間の散策である。
藤枝中央小学校の裏山から尾根に出て、清水山まで歩く“健脚コース”に渓太、悠太と挑む。
大人の皆さんは「小さい子どもだけど大丈夫?」と気遣ってくれたが、
去年、この尾根は3人で歩いたことがあるので、大丈夫だと思っていた。
とは言え、団体での散策は初めてなので、「前の人を追い抜いたりしちゃダメだよ」と
諭しながら、1時間半余りのコースを元気に踏破!
ゴールの清水山山頂では地元の自衛団や婦人会の皆さんが、
豚汁やおでんを振舞ってくれるので、持ってきたオニギリと一緒に頬張る。
もちろん、子どもたちにはお菓子も配られ、満足倍増であった。


平成19年11月19日の昼、目付け(女房)からメールが入った。
「悠太が発熱でダウン・・・」。ここまではいいとして、次の電話には背筋が凍った。
「渓太が車にはねられて、救急車で病院に運ばれた・・・」
連絡が入ったのは16:32。会社に申し出てすぐに早退する。
オイラが焦って事故を起こさないように、電車とタクシーで移動した。
病院に着き、救急外来で確認するも、渓太は検査中で顔を見れない。
救急車に同乗してくれた裕史が待合室にいた。
裕史が救急車の中で「ここ痛くねぇか?」と渓太の手足を触りながら聞くと、
はじめは泣きじゃくっていたけど、落ち着くと「頭がチョット痛い」という答え。
出血も少なく、大したことはないんじゃないか・・・とのこと。
渓太は不幸中の幸いで、思いの他、軽症のようで一安心。
ともあれ、渓太の顔を早く見たい。

事故のことを、家に知らせてくれたのは幼稚園の先生。
それを聞いた目付け(女房)は悠太、碧惟もいるため、身動きがとれず、
裕史に救急車への同乗を頼んだ。裕史は快く受け入れてくれた。
それを聞いたオイラは達也に現場に行ってもらうよう頼んだ。
雅行にも何かあったら手を貸してくれるように頼んだ。
地元の仲間には本当に助けられた。

しばらくすると、加害者の方が病院まで謝罪に見えた。
人前でもあったので、感情を抑えながら状況を聞いた。
渓太の顔を見る前に、加害者と会うと言うのも何だか複雑だった。
その後、渓太が検査を受けている病棟に向かう。
通路のTの字部分で、ストレッチャーに寝ている小さな体が見えた。
「渓太!」と叫ぶと、ネットを被っている小さな体がチョット動いて、
看護士がこっちを振り向くのと同時に、渓太が振り向いた。
渓太の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「よく頑張ったなぁ!びっくりしただろう」としか声が出なかった。
小さな体がたった一人で、事故から1時間以上、精一杯頑張ったのだ。

検査終了後、しばらく救急外来で待機。
その間、渓太と2人で事故の話をした。
驚くことに、事故の様子を渓太本人が覚えていて説明してくれた。
渓太が落ち着いたと思ったので、「お腹、空いたろ?」と聞くと、頷いた。

脳神経外科の救急担当医から「現時点では心配ないと思います。
明後日、外来に来て下さい。それまでに異常があれば、すぐに来て下さい。
明日も朝起きて、元気にご飯が食べられれば、幼稚園も行ってイイですよ。」
との事。頭に負った擦り傷に当てたガーゼを留めているネットが、
渓太にとってはバツが悪いらしく、幼稚園に行くのに照れくさいようだ。
「そんなこと言ってる場合か?」とは言わず、こっちも笑いをかみ殺し
無事、病院を後にし、家に向かう。

翌朝、事故現場に行ってみた。
「青信号で横断歩道を渡ったよ」と言う渓太の話通りだった。
「車が危ないって分かったでしょ!気をつけなきゃ!」と言う
目付け(女房)と義父母の気持ちもよく分かる。もちろん同感だ。
でも、押しボタンを押して、青信号になった横断歩道を渡った渓太を
とても叱る気にはなれなかった。
「青信号になってから、ゆっくり渡ったか?」と聞くと、
「走った・・・」と渓太。「そうかぁ・・・今度は青信号になった後、
車が来ないかもう一度、右と左を見ような。そうすれば怖い思い
しなくても、よくなるよな!」と諭すと、渓太は黙って頷いた。

その晩は、風邪をひいた悠太のために作ったオジヤを、何故か
渓太がお替りまでして食べた後、ぐっすり眠った。
翌日は、気になるネットを外し、元気に幼稚園に行った。

そろばん教室に行く途中での事故。
幼稚園年長の友だち同士で行かせていたけど、
「やっぱり私が着いていく」と言う目付け(女房)を止めようとは思わない。
子どもの自立と子どもの安全、オイラも気持ちの整理がつかない。
でも、車にはねられて軽症で済んだ渓太が、昨日と同じ今日を
迎えたことが素直に嬉しい。明日も明後日も、そうでなきゃいけないのだ。
近所で「危ない!」と評判の息子たちだが、その通り、行動が突飛で
ひょんきんな一面はある。でも、大人たちの物差しが
間違っていやしないか・・・?と自問自答するオイラもいる。

平成19年11月23日〜25日は3連休。
キャンプ!と思ったが、朝晩寒いのと、渓太は事故直後であり、
悠太が病み上がりなので、泊まりは止め、日帰りで遊びに行く。

23日、朝ラーメンの後、1時間ほど散歩しながら、「海釣りに行こう!」と決まる。
海釣りは全く不得手なので、スンエン釣具に行き、教えられるままに
必要な道具を買い揃える。リールと竿、仕掛けに餌で4,000円チョット。
ランチの準備に飯盒と研いだ米、カレーを持って、新焼津港に向かう。

青空から夕焼け空まで、釣り糸を垂れてました。

 釣果は左の通り。
ハゼ3、ヒトデ2、コチ2。
初めてにしては、上等だ!
 何故か渓太にはヒトデ、悠太にはハゼが集まった。
 
 オイラが投げて、子どもたちがリールを巻く。ロケットおもりの重さで「引いてる、引いてる!」と興奮する渓太。リールを巻いている途中で、「手が痛い・・・」と疲れてしまう悠太。
 休日の午後、半日遊ぶには十分過ぎてしまうほど、充実した時間だった。今度は、食べられる魚を釣りに行こう! 
 さて、昨日の釣果に調子付いて、翌日11/24は大井川漁港へ。午前中は童子沢親水公園北西部の山にキノコを採りに行ったが、全て茶畑・・・キノコなどあるはずもなく、それでも晩のツマミにムカゴを採ったあと、日当たりのイイ場所でオニギリ&蕎麦で昼飯を済ませ、海抜0bに下る。

 昨日とは、場所も餌も違うから、釣れる魚も違うはず!
 
 でもって、釣り上げました。
渓太が「何だか今、ビクッて来たよ!」と言いながら、釣り上げたコノシロ。悠太の竿に掛かったんだけど、「オレが釣った!」と言って憚らなかったクロダイの幼魚。その他、13:00から16:00で、数尾の魚が釣れました。指先はオキアミ臭いんだけど、別に嫌な臭いじゃないんだなぁ・・・

 この魚たちは、家に帰って塩焼きにして食べた。渓太も悠太も、自分で釣った魚は、本当に美味しかったんじゃないかな。

 11/25も三連荘で海釣り@大井川港。この日、ついに本命のアジを釣り上げたのでした。

中秋から晩秋になるこの時期、布団から出るのが億劫になる。
寒くて布団から出られないんじゃなく、布団の中が心地良すぎるのだ。
それは、大人も子どもも、同じなんだろうな(笑)
まさしく「秋眠暁を覚えず」なのであるが、そのうちに師走を迎え、
本当に寒くて布団から出られなくなるのだろう・・・

今年もあと1ヶ月。まだまだ遊ぶゼィ!

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