翠まう碧く悠かなる渓
<富士山→志賀→大阪>
2023年7月
渓太 (21歳5ヵ月) |
悠太 (19歳11ヵ月) |
碧惟 (16歳5ヵ月) |
梓翠 (11歳6ヵ月) |
7/2(日)、初登頂となる富士山に行ってきました。「翌週の志賀100kmに備えて、高地順応しましょう!」と戸塚さんにお声かけ頂き、前日土曜日の祭り飲み会もほどほどに、6:30馬返し集合出発! それはそうと、馬返しも初めてなので、車を置く場所も分からず、ウロウロしていると戸塚さんを見つけ、ようやく要領を得る。 初体験ながら、3,000mを超える頃から息苦しくなる。「これが高山病か・・・」などと一人納得しながら、5時間かからず山頂を踏む。お鉢巡りも果たし、20名ほどの“剣が峰写真撮影待ち(ピーク時の1/2以下)”をやり過ごす。 山頂では、ご一緒予定だった内藤さんとも会うことができました。また、思いがけず、たくさんのラン仲間と会うことができ、元気をもらいました。 詳しくはこちら。 |
7/8(土)-9(日)は“志賀高原100km”に出場。 100kmはレースとしては初!美濃國山城トレイルのプレ大会のおかげで、感覚は掴んだけれど、100kmレースはktfが初開催を発表してから、コレと決めていた。先週、富士山を一緒に登った戸塚さんと一緒に、前泊で参戦。 ザックをあけると、副事務局長からの応援メッセージが。俄然、モチベーションが上がりますね(^^♪ |
|
結果、22時間53分35秒でゴール。 目標の24時間以内の目標を達成し、主催者のktf大塚さんと記念写真。小生の来ているTシャツは、第1回だけ開催できた木曽駒トレイルのもので、第1回同志のTシャツで完走するという目的があったんです(^^♪ ほぼ徹夜のスタッフ、ボランティアの皆さんのおかげで、副事務局長の言う通り、ケガなくゴールできました。皆さんに感謝です。 フィジカルのピークは、焼額山を目指す24:00前後、80km付近。疲れで眠くなる所に、冷たい雨が降ってきて、低体温症すら心配になるくらいだったが、塩釜から参戦した女性と励ましながら奥志賀エイドまで降りた。 メンタルのピークは、蓮池エイドからの30-40km位だったろうか。なぜか、気持ちが途切れそうだったが、ボラの方々の声援に助けられた。 レースを通して、ガッつかず、でも、ダラけず、志賀高原を23時間満喫させてもらいました。ゴール後、「100km完走して、こんなに元気なオッサンいないでしょ!」と大塚さんにお褒めの言葉を頂きました(^^)/ 詳しくはこちら。 |
7/15(土)-16(日)は山援隊史上初のUSJ:ユニバーサルスタジオジャパンへ!蒸し暑い金曜夜立ち車中泊でやり過ごしたはいいが、USJも想像を超える酷暑。自動販売機でジュースを買うにも行列という始末。 とは言え、山援隊女性陣は嬉々としてアトラクションにまっしぐら(笑) 確実に、希望のアトラクションへの乗車/体験を重ね、ランチを!と言ってもどこも満員。路上の出店でそれぞれ軽いランチを済ませ、午後の部スタート(^_-)-☆ 全ての後レクションを制覇するには、1日では無理と分かり、また、暑さも半端ないので、ホテルにチェックインして、道頓堀に食事へと繰り出すことに。 |
外国人インバウンド旅行者が多く泊まるドミーホテルから最寄りの駅まで歩く間に、さりげなく“あべのハルカス”を見ていたので、翌日は、オサレなホテルで朝食を摂った後、通天閣へ。 ホンマもんの関西弁が飛び交う・・・と思いきや、観光客の方が多いせいか、関西弁は影をひそめる(笑) それでも、コテコレの大阪の息吹を楽しみながら、お土産を買い漁る(笑) 土地勘がない、どの店も混雑、喉は渇く・・・という中で、頻度が上がるのがトイレだが、トイレを探すのも大変なのだ。 |
USJツアーの締めは、副事務局長と小生で、10秒間のトリップ“通天閣TOWER SLIDER”を楽しむことにしました。 帰路は、下道で、琵琶湖まで出て、琵琶湖大橋を渡り、高速道をの人となりました。 片道300km超の旅ですが、機動力を生かして、あっちこっち行くことができました。絶叫系が苦手な事務局長も、今回は、積極的にトライし、絶叫系大好きな目付&副事務局長はご満悦(^^)/ 詳しい内容はこちら。 |
開設にあたり | 隊 士 | 足 跡 | 掟 | ひとり言 |
渓に棲むTOPへ |