碧く悠かなる渓
大震災の教訓
2011年3月
渓太/ | 9歳1ヵ月 | 悠太/ | 7歳7ヵ月 | 碧惟/ | 4歳1ヵ月 |
3月11日に大きな地震がありました。当日、静岡県では揺れはしましたが、 後から映像で見るほどの惨事になっているとは想像すらしませんでした。 東北関東大震災、さらには、長野、新潟でも地震があり、地震列島日本と化しました。 3月15日深夜、ついに静岡県でも地震。テレビは富士川沿いが震源地であることを伝えていました。 「富士川糸魚川線のフォッサマグナじゃんか!」と思った瞬間、山道具はじめ避難具をザックに詰め、 持ち出しの準備をしました。生まれて初めて避難の準備をしました。 母親にも枕元に靴と軍手を置くように伝え、不安な夜を過ごしました。 未だにその不安は現実にならずに済んでいますが、心配は続きます。 東北関東大震災で被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。 出来ることをやりながら、一日も早い復興をお祈りいたします。
今月ようやく気がついたことが一つ。 目付が大量に納豆を買ってくるのだが、朝ご飯で出される訳でもなく、 時には、賞味期限が切れても冷蔵庫に保存され、小生がまとめ食い・・・と言う状況だったので、 目付に「納豆って、どうなってんの?」と聞いてみた。 聞いてビックリ!!「隊長がオヤツで食べるんだよ!」だって。 その後、まとめ食いをせずにいると、確かに減っています。 何だか笑っちゃいました。 3/11に発生した東北関東大震災の後、3/15の深夜に富士宮市を震源地とする震度5程度の 地震があった。テレビをつけると、富士川糸魚川線(フォッサマグナ=活断層)上に 揺れの強い地点を表すマークが並んでいる。直感的に、「こりゃ、来るな・・・」と思った。 この夜、生まれて初めて、避難の用意をした。 隊長、副隊長が背負えるリュックサックには軽めの荷物(ブランケットと非常食)、 目付のショルダーには金品と女性の身支度、小生のザックには燃料と水、山グッズを放り込んだ。 幸いにしてまだそのザックを持ち出すことはないが、これを機に、普段から備えることにした。 3月26日(土)浜岡原子力発電所(原子力館)に行ってきました。 東北関東大震災で、日本史上類を見ない惨事を起こしている福島第一原子力発電所の 映像を見ていたら、地元の原発を知らない訳にはいかなくなった。 隊長、副隊長、事務局長は「原発行くぞ」って言ったら、「おぉ、原発だ、原発!」と 訳も分からず興奮していたが、連日の報道で言葉は覚えたらしい。 とは言え、入館してしまえば、館内のアトラクションで遊びまくりでした。 目付と小生は原発の構造や安全対策をまじまじと見学。 自宅から走行距離で30`強・・・有事の際にはどうしようもないのかもしれないが、 知識が増えただけでも、何だか安心度が高まるのは、不思議だ。 小生は小学校の社会見学以来の入館となったが、愛知県ナンバーの 車両まであり駐車場は70%の入り。タイミングもあって、関心は高いようだった。 事務局長が上手になった自転車乗り 3月最後の日曜日。隊長・副隊長は友だちと遊びに行ったので、 事務局長と小生と自転車散歩に行ってきました。 副隊長が乗り古した自転車をサドルの高さを変えないままだったので、 チョッと傾くと転んでしまいますが、ここはグラウンド。ご機嫌でチャリを漕ぎます。 この後、お姫平〜寺田酒店〜上○魚店と巡って、家路に着きました。 3月は小生が草野球で左膝内側靭帯を傷めたため行動範囲が限られてしまった。 早く治して、4月は山菜採りに行こうな! |
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