かなる

渓太・悠太の2006年新年
2006.1月

渓太 3歳11ヶ月 悠太 2歳5ヶ月



2006年新年1/2(月)〜3(火)、渓太は2回目、悠太は始めてのスキーに行った。

場所は北信州木島平スキー場。宿は定宿“ビストロ原宿”
この日は到着日の夕方から、猛吹雪で、翌日はさらに猛吹雪。
横殴りの雪のため、写真を撮ることもできず、
帰りに豊田飯山IC手前の道の駅“ふるさと豊田”での一幕。
この吹雪では、来年誘ったら来るだろうか?特に、悠太・・・




石段を競って登る


頂上の休憩所でおどける



ご飯が炊けるまで、しばし休憩
 1/15(日)、前の一週間が忙しくて渓太、悠太と話もできなかったため、休みの日曜日には渓太マイブームの“探検”に出掛ける。
いつもは瀬戸川に遊びに行きながら、川沿いにある日切地蔵にお参りをするのがコースであるが、この日は、対岸にある金比羅山に探検に行く。
 何を隠そう、オヤジ自身も中学生時代以来行っておらず、約20年ぶりになる。瀬戸川沿いに来た時「川の向こうのあの山に登って探検するぞ!」と言うと、渓太は二つ返事、イヤ顔すると思った悠太も二つ返事だったのには驚いた。写真左上のように結構な石段を上っていくのである。

 こうして山に行く時には飯盒でご飯を炊いてやる。
オヤジの趣味&自己満足と言うのもあるが、こういうシーンを当たり前に覚えていてほしいと言う狙いもある。渓太は「蓋がとれちゃわないように石乗せるんだよね」と飯盒を理解し始めているが、悠太はもう少し時間がかかりそうだ。
 おかずが少なかった(ソーセージとフリカケだけ・・・ゴメンよ)が、たくさんご飯を食べて、探検第二部(午後の部)に出掛けるのだが、ご飯が炊ける間、カメムシを発見したり、お参りしたり、別の子どもが言っていた「ヤッホー」を真似して叫んだりしたが、何と、悠太は100円を拾っていた。
 実は金比羅山の尾根伝いに「五州山」と言うのがあることを36歳にして初めて知った。そうした意味では、子どもの頃言った場所に大人になってから行くのも楽しいもんである。
 午後は、金比羅山を来た方向と反対側に降り、バスに乗って藤枝駅に寄る。修理に出してあるオヤジの山靴を取りに行くのである。
 バスに乗る前にコロちゃんのころころコロッケで1つ53円のコロッケを食べる。さっき山頂で悠太が拾った100円で2人で1本ジュースを買うことにしたのであるが、結局1人ずつ欲しいらしく、2本買う。



このバス停から乗車。
藤枝駅で電車の往来を見ながら、「電車乗る!」とねだられるが、
うっかり定期を忘れ、小銭もないので、謝って勘弁してもらう。

この日は二人とも本当によく歩いた。
悠太は家に帰ったら秒殺で寝入ってしまったが、
渓太は全く元気だった。
その渓太も、レオーネに乗って移動したら、秒殺だったが・・・
しかし、夜やったキ町新年会では二人とも大暴れだった。

楽しかった、また行こう!!

後日談
また行こう!などとオヤジはイイ気になっているが、金比羅山の裏側で
すれ違った同級生曰く
「コイツ、家を追い出されたのかと思った」とのこと。
キ町新年会にて、近所の人曰く
「子どもと一緒だったけど、あんなに大きなリック背負って、
一体、どこまで、何しに行くんだろう?」
とのこと。

近所では、かなり異様な光景に映ったらしい。

傍目を気にしてばかりでは何もできないが、
オヤジの趣味一辺倒で子どもを連れまわすのが、子どもの渓太、悠太の
将来に少なくともマイナスにならないようにしないとね。
「家族の男組みだけ、追い出されたぞ、また!」って言われちゃうのかな(笑)



月見里神社の楠の祠にて


岡出山公園忠霊塔前にて

ならばと、今回はザックを背負わずに探検に出かけた。
近所の月見里神社(これで“やまなし神社”と読む)の
天然記念物の楠の祠から、慶全寺まで、岡出山公園忠霊塔経由の山越えで
行って帰ってこようと言うものである。

約3時間、市道〜石段〜山の中と歩き通しなのである。
もうすぐ4歳の悠太と2歳半の悠太たちにとっては、
結構疲れるんだろうけど、キャッキャ言いながら走り回っている。
“子どもは風の子”とはよく言ったものだ。

たくさんのドングリと野鳥が迎えてくれた。
途中で寄った馴染みの和菓子屋“飛騨”さんには
子どもたちに和菓子を頂きました。
ありがとうございました。

楽しかったぜぃ!



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